初陣(中編)
「制圧射撃!撃ち方始め!」 山﨑の号令と共に生徒達の火器が一斉に火を噴いた。
全員で射撃を続け、山﨑のライフルがクリップを射出した時、山﨑は弾帯から新たなクリップを取り出しながら振り返って冨士原に合図を出した。
「冨士原!行け!」
それを見た冨士原たちは用水路から飛び出し、遮蔽物が何もない農道を駆けた。
農道は学園のトラックがギリギリすれ違えるか否かというほどの細い道路だ。普段なら何気なく横断できただろう。しかし銃撃を受けながら横断するこの時だけは、冨士原らには無限に広く、そして長く感じられた。
至近弾が耳元で弾けるたびに、冨士原らは足がもつれそうになりながら必死に走り続けた。
道路を横断し反対側にたどり着いた時、冨士原は傍にある生垣に転がり込んだ。冨士原は振り返ると安武はすでに渡りきっており、そのすぐ後に宮野、少し遅れて最後尾に居た木村が生垣にたどり着いた。それを見て、冨士原はひとまず安心した。
四人は銃の安全装置を解除すると、生垣を伝って納屋へ近づいた。
冨士原は納屋のドアから聞き耳を欹てた。人の気配はなく、どうやら先手を取れたらしい。冨士原がドアを開けると四人は素早く納屋の二階へ上がり窓から外を確認した。
納屋は周囲の水田地帯よりも少し高い位置にあり、さらにその二階となると辺りがよく見渡せた。敵集団を見渡せる良い位置につけたようだ。
冨士原はその集団の中に、今まさに重機関銃を組み立てようとしていた敵集団を見つけ、安武を呼び出した。
「安武!機関銃手だ!仕留めろ!」
安武は冨士原の隣の窓へ行き、窓の傍にあった棚の農具を押しのけると、その上に銃を置いて安定して射撃できる姿勢を整えた。
安武 彩は寡黙だが優秀な狙撃手だった。幼少期から父親と狩猟を楽しんでおり、射撃の腕は学園でも屈指の実力だった。動いていない人間など鳥よりも楽に狙撃できると語っており、スコープの付いていないライフルでも200メートル圏内の人型標的なら急所を外しはしなかった。
安武は機関銃用の三脚を組み立てていた敵を素早く照準に捕らえ、引き金を引いた。ちょうど三脚を設置し終わった敵が三脚の上に崩れ落ちた。
山﨑らが居るトラックのほうから激しく銃撃されていた敵は狙い撃ちにされていることに気づいていないらしく、三脚にもたれかかった死体を押しのけて組み立てを続行しようとしていた。三脚の上に載せようと機関銃本体を抱えていた敵も安武の照準に吸い込まれ、瞬く間に地に堕ちた。
安武は機関銃そのものも破壊しようと、地面に転がった機関銃本体に残弾すべてを打ち込んだ。効果のほどはわからなかったが、少なくとも射撃が困難な状態になったのは間違いないだろう。
ひと仕事終えた安武のライフルが甲高い金属音を響かせながら元気よく空のクリップを吐き出し、安武はそれに答えて素早く身を隠し、次のクリップを装填した。
「流石!」 という冨士原の賞賛の声に安武は無言で親指と小指を立てて答えた。
冨士原は、敵の一部が自分達の居る納屋を目指して丘を登ってくることに気づき、短機関銃の引き金を引いた。
亜音速の弾丸を発射するため機関銃やライフルの一斉射撃ほど制圧力は無かったが、近くの土を巻き上げながら迫る弾幕が敵を丘へ釘付けにした。その場に伏せることで冨士原らからの銃撃から隠れられたが、頓挫したトラックの近くにいる山﨑らからは丸見えで、十字砲火に晒された敵は完全に逃げ場を失った。
生徒たちに倍するであろう敵が身動きも取れずに固まってただ耐えているのはなんとも不思議な光景だった。これなら学園からの増援が来る前に敵が退却するかもしれない――。冨士原だけでなく、そこに居た誰もがそう思っていた。
そんな幻想を撃ち砕くように敵集団が居るあたりから大きな音と土煙が上がり、頓挫したトラックが爆発炎上するのが見えた。
ロケット砲の攻撃かと思った冨士原は射手を探すべく立ち上る砂塵に目をやった。
砂塵は晴れるどころか近くの草木をなぎ倒しながらそのまま近づいてきて、やがてその中から巨大な鋼鉄の怪物が姿を表した。
「――敵戦車!ロクマルだ!」
敵の60式中戦車だ。40年ほど前に大量生産され、先の大戦に従事した旧式戦車の生き残りだ。現行の対戦車火器や主力戦車であれば物の数にも入らないような相手だっただろう。しかしここには装備が充実した本土の正規軍など居なければ対戦車手榴弾すらない。現状では対抗する手立てが全くない、まさしく鋼鉄の化物として戦場に君臨した。
冨士原は戦車の砲身がこちらへゆっくりと回転し始めたのを見て、咄嗟に 「全員すぐ出ろ!急げ!」 と叫んだが、その直後に納屋は激しい衝撃と塵埃に包まれた。
戦車が手あたり次第と言わんばかりの砲撃しはじめ、山﨑は全員に射撃を中断させると用水路の中に身を隠した。
戦車による砲撃の一発が冨士原が向かった納屋へ命中し、その一角が吹き飛ぶのが岡田には見えた。
岡田にはむこうの様子はわからなかったが、冨士原のことはさほど心配していなかった。ヤツとは幼少期からの仲でよく知っている、あの程度でくたばる様なヤワな奴じゃない。しかし、このままだといずれどちらかが、最終的には全員まとめてあの世行きだと感じた。
それ以上に、岡田は離島警備隊に対して腹が立った。
月読は森林地帯が多い、少数の歩兵なら見逃すこともあるだろう。しかし戦車となれば話は別だ。戦車が通れる道など限られているはずで、それらは警備隊が塞いでいたはずだ。それなのに、今戦線後方ともいえるこの場所に戦車が居る。防御線に大きな穴が開いているに違いない。
離島警備隊は自分たちを置いてケツをまくったのではないか、そう考えると岡田は怒りが抑えられなかった。
「どうすんだ美香、対戦車火器は何も持ってきてないぞ!?」 岡田は山﨑に問い質したが、山﨑は返答に詰まった。
学園からの増援には対戦車火器を持たせていない。そもそも選抜科と言えど対戦車戦闘はまともな訓練すらしていなかった。無線手の山中が、接敵直後から付近に居るはずの離島警備隊を呼び出しているが一向に連絡がつかない。逃げようにも、戦車が相手では走って逃げたところであっという間に追い付かれ、甚大な被害が出るだろう。
山﨑は銃声と砲撃によるひどい騒音の中であたりを見回して使えるものがないか探した。
前方の車列に目をやった時、輸送品のことを思い出した。出発前のブリーフィングで積み荷の確認をした、その中にはたしか小銃擲弾があったはずだ。離島警備隊宛ての物資であったが、小銃擲弾は学園のライフルにも互換性があるものだ。小銃擲弾の直撃なら、破壊は無理でも時間稼ぎ程度にはなるかもしれない――。
「菊池!小銃擲弾を探してこい!先頭側の車列にあるはずだ!」 そばでただ震えていた普通科の哀れなトラック運転手に指示を出した。 「わ、わかりました!」
山﨑は、足がもつれそうになりながら走っていく菊池を見送った。
そういえば水嶋はどうしただろうか、山﨑は振り返って水嶋を送り出した車列後方側に目をやった。
すると四輪車がまだ機関銃の射撃を続けていることに気づいた。機関銃を使用しているのはどうやら同じ選抜科3回生の吉原らしかった。
敷設科の移動を警護しろと随伴させていたが、到着してからというもの、まだ何も指示を出していないため、制圧射撃を続けていたのだろう。
吉原 志津恵は選抜科3回生で、山﨑らと同じ幹部生だった。第二小隊の隊長を任されている彼女は、選抜科では珍しく温厚かつ冷静沈着で気さくな生徒だった。もし山﨑が先任学生長に着任していれば、彼女が小銃隊隊長を務めていたかもしれない。それほど選抜科の間では頼りにされていた。
しかしその日の彼女は、今まで誰も見たことがないほど興奮していた。雄叫びを上げながら四輪車の機関銃を乱射し続けていた。
「吉原!すぐそこから離れろ!」 山﨑は大きな声と身振りで指示を出したが目もくれず、声は銃声にかき消されて聞こえていないようだった。
山﨑は四輪車を目指して走り始めていた。
吉原は射撃を続けながら授業で聞いたことを思い出していた。
――機関銃程度では戦車の装甲には何の効果も与えられないが、全体が装甲に覆われているわけではない。乗員用が外を確認するための覗き穴や照準器なら装甲に比べて脆弱で小銃弾でもダメージを与えられるはずだ――。弾薬が続く限り撃ち続けた。
何発かが戦車の天井に装備された車長用の覗き穴付近に命中した。効果があったのだろうか、戦車は一瞬足を止めた。吉原はそこで弾薬をベルトを撃ち切り、機関銃のカバーを開くと、大急ぎで空の弾薬箱を投げ捨てながら次の弾薬箱を拾い上げて土台に置き、中から新たな弾薬ベルトを引っ張り出すと素早く弾薬をイジェクターに噛ませ、カバーを叩き閉じた。
戦車の砲身がゆっくりと回転を始め、四輪車に向いたとき、戦車から閃光とともに砂煙が上がった。砲弾が四輪車のすぐ左を掠めて地面を抉り、衝撃波で車体が激しく揺さぶられた。吉原は振り落とされそうになりながらも、なんとか体勢を建て直すと機関銃のコッキングハンドルを力いっぱい引き 「畜生め!」 と雄叫びを上げながら引き金を引き続けた。
「――吉原!」 山﨑は声の限りを絞り出したが声は届かなかった。その瞬間、激しい衝撃と共に舞い上がる砂埃が四輪車を覆い隠した。
冨士原は、納屋の二階の隅の方で崩れ落ちてくる瓦礫から身を守るようにうずくまっていた。
しばらくして、納屋が静かになったのを確認すると瓦礫が巻き上げた塵埃に噎せ返りながら手探りで三人を探した。宮野はすぐそばに居て、塵埃が収まる前に見つけることができた。
「おい、全員無事か!?」 という冨士原の声に、下の階から返事があった。 「あぁ、大丈夫だ。」 安武の落ち着いた声に冨士原はひとまず安心した。残る木村はどこだろう。確かまだ二階に居るはずだった。
徐々に視界が晴れて開けてきて、完全に崩れた納屋の一角から空が見えた。冨士原は窓の近くにある物置棚の陰で、外からの光に照らされた木村の背中を見つけた。木村は慌てる様子もなく、ただただ棚の傍で床に座り込んでいた。
「おい木村、移動だ!来い!――」 と木村の肩を掴んだが、振り向いた木村の顔と両手には無数の木片とガラス片が突き刺さりひどい様相で震えていた。戦車の砲撃で飛び散った破片を食らったのだろう。冨士原は漏れそうになった驚愕の声を何とか喉に押しとどめて 「――よし、もう大丈夫だ、ここを出るぞ、良いな。」 と安心させるようにゆっくり声をかけた。
「よし、手を貸せ。」 と冨士原は木村の手を取ると、それを肩に回して木村に 「外へ出るぞ、良いな?」 と声をかけると木村は静かに頷いた。
それを確認した冨士原は木村を半壊した納屋から外へ連れ出した。
戦車が四輪車へ放った2発目の砲弾は激しい金属音を上げて四輪車を真正面から完全に撃ち抜いた。
戦車からすれば四輪車の装甲など紙切れ同然だ。砲弾は四輪車を真正面に命中し、少しも減速することがないまま破片を伴って吉原の左膝あたりを通過して完全に貫通した。砲弾と破片、それに衝撃波を受けた吉原の上半身は宙を舞い、下半身は赤い霧の中に消えた。
四輪車の周りで吉原のために次の弾薬ベルトを準備していた野本は、いきなり後ろから尻を蹴り飛ばされながらバケツで水をかけられたように感じた。
野本には何が起きたか一瞬分からなかったが、吉原が上から落ちてきたらしい。びしょ濡れになった顔を拭いながら 「大丈夫!?」 と吉原に手を貸した。しかし、吉原の体が思いのほか軽くて驚いた。吉原もひどく濡れていたため、急に雨が降りはじめ、それで吉原も滑り落ちたんだろうと野本は考えた。
――が、周りにいた友人たちの凍り付いた表情に気づき、野本は抱き上げた吉原の下半身に目をやって状況を理解した。野本は辺り一面が赤く色付いていくのを感じた。
ようやく状況を正気を取り戻し始めた野本の脳は理解を拒絶したのだろう。自分の膝の上に横たわる友人の無残な姿に、ただただ悲鳴を上げるしかなかった。
四輪車のすぐそばまで来ていた山﨑も、至近弾の音と衝撃で用水路の底に転がり落ちた。
――その時に頭をぶつけたらしい、山﨑はひどい頭痛と耳鳴りに頭を抱えながら周囲をぼんやりと見回した。
生徒たちが隠れている枯れた用水路の底はひどい有様だった。
山﨑のすぐ隣で、普通科の生徒が胎児のような姿勢でうずくまって泡を噴きながら痙攣するように震えており、周りに居る生徒たちは彼女を介抱するでもなくただただ愕然とした顔で見ているだけだった。誰かが負傷したらしい、生徒の腹から吹き出す血飛沫を永村が必死に抑えているのが少し遠くに見えた。そして最後に、ぼんやりとして焦点が合っていない、瞳孔の開き切った吉原の目と、山﨑の目が合った。
ここが地獄だろうか。いや、戦場か。これが現実の戦場なのか。
あまりに現実離れした光景と、収拾の見込みがない混沌を目の当たりに、山﨑は自分の無力さに打ちのめされたように、しばし呆然としていた。
そうしてどれほど時間がたっただろうか、すぐ隣を誰かが通り過ぎるのを感じた。水嶋だった。
施設課の生徒たちの誘導から戻った水嶋は大きな肩掛け鞄を抱えていた。何をするのだろうかとみていると、あろうことか生徒たちが隠れていた用水路をよじ登り始めた――。
山﨑はその瞬間、ふと我に返った。
「水嶋!何してるの!」 水嶋を制止しようと立ち上がって追いかけ、腕を伸ばした。しかし山﨑の手は空を切り、足がもつれてまた用水路の底に滑り落ちてしまった。 「水嶋!戻りなさい!水嶋!!」
水嶋は山﨑の呼び止めに目もくれず、戦車目指してまっすぐ駆け出し、砲撃で巻き上がった土煙の中へと消えていった。山﨑はすぐさま水嶋の後を追おうと立ち上がった。それに気づいた、岡田が山﨑の弾帯を掴かみ、引きずり込んだ。 「何やってんだ美香!あんたが死んだら誰が指揮を執る!?あたしか!?あ!?」
岡田の叱咤も耳に入らないまま、山﨑は用水路のから頭を出して水嶋の姿を探した。
最後の一瞬、土煙の狭間で戦車めがけて肩掛け鞄を投げ込む水嶋を見た気がした。それとほぼ同時に、激しい音と地響きを伴って巻き上がった爆煙に遮られ、戦車と水嶋の姿は見えなくなった。
戦場のど真ん中で発生した大爆発に、敵も味方も誰もが目を奪われ、一瞬静寂が戦場を包んだ。
しばしの静寂のあと、岡田はゆっくりと顔を上げて呟いた。
「やったか……?」
土煙の中から再びゆっくりと現れる鋼鉄の怪物を目にし、山﨑と岡田はただただ全身の血の気が引くのを感じるしかなかった。