初陣(後編)
山﨑からの指示を受けた水嶋は、車列最後尾に設置された集結地点へ駆けて行った。
集結地点には大きな資材を抱えた普通科敷設班の生徒たちが集まっていた。敷設班は普通科の中でも土木作業を担当する工学系の生徒たちで、障害物の除去や寝泊まりするテントの設営に従事している。いわば学園の工兵だった。本来は座学が主たるもので、重機も無いため実地ではそこまで大規模な敷設能力はなかったが、農業用の用水路に即席の橋を架けるくらいはできた。
彼女らに合流した水嶋は、山﨑からの指令を伝えた。
「山﨑さんからの伝令です、仮設橋の設営は本隊が到着してからの予定ですが、すぐ開始できるよう付近で待機しておいてほしいそうです。現場まで先導します。」
10人ほどの敷設班の生徒たちは頷いて資材を抱えあげると水嶋に続いた。
水嶋は集結地点から山﨑の元へ戻る道中、崩落した橋のあたりで激しい閃光と大きな爆発音がして黒煙が上がるのを見た。初めは何が起こったのか分からず、ただただ先を急いでいた。
用水路を進んでいく面々は、ようやく左手に戦場への視界が開けてきた。
徐々に自分達の傍を通り過ぎる至近弾が増え始めたのを感じたちょうどその時、戦場の真ん中にポッと土煙が上がり、冨士原らが向かった納屋の一角が崩れるのを見えて、状況をようやく把握した。敵戦車の出現で、学園生徒たちは身動きができない状態だった。
戦車の行く先には山﨑や永村が位置しており、たしか今は誰も対戦車兵器は持っていないはずだ。早く何とかしなければ大変なことになるだろう。
水嶋はすぐさま敷設班の生徒の持ち物を思い出した。
「それを!早く!――」 水嶋はか細くひ弱そうな様相からは想像もできないほど大きな声で叫んだ。呆気に取られていた施設課の生徒から肩掛け鞄を奪い取るように受け取ると、敷設班の生徒たちを置き去りにして用水路を駆け出した。
水嶋が手にしたのは障害物爆破除去用の梱包爆薬だった。組み立て済みのプラスチック爆薬で、扱い易く運び易いように肩掛け鞄に詰め込まれており、起動用のピンを抜いて投げれば約10秒で爆発するように作られていた。本来は進路をふさぐ障害物などを破壊するために使うものだが、密着させて起爆すれば戦車であっても壊滅的なダメージを与えられるに違いない――。少なくとも水嶋はそう確信していた。
水嶋は用水路を駆けながら、頭を上げて戦場の様子を確認した。
ここ数日、日照りが良かったため地面はとても乾燥していた。さらに風がほとんど吹いていなかったため、銃撃や砲撃のたびに乾燥した砂が舞い上がり、戦場全体はまるで黄色い霧に覆われているようだった。静かな時間が少しでも続けば晴れてしまうが、戦車の砲撃で舞い上がれば接近するだけの時間は稼げそうに見えた。
水嶋がちょうど農道の交叉点に近づいた時、戦車が二度立て続けに砲撃し、戦車の周りで大きな砂塵が舞い上がった。チャンスは今しかない。
水嶋は意を決して用水路を飛び出し、農道を超えて、反対側の細い用水路に水嶋は滑り込んだ。
水田に水を分配するこの用水路は水嶋の肩幅ほどしかなかったが農道から見て50cmほど窪みになっており、この用水路なら戦車の近くまで安全に移動できるはずだと、一寸先も見えないような激しい土煙の中を水嶋は全力で走った。
用水路を進むにつれて徐々に戦車のエンジン音が大きくなり、戦車の履帯が発する金属音と地響きが大きくなっていった。そろそろ戦車が見えるはずだ、水嶋がピンを抜くと、信管が正常に燃焼を開始し小さな煙が吹き出し始めた。
土煙を抜けると、戦車はすぐ目の前だった。
水嶋は用水路を飛び出すと、鞄の肩掛け紐を掴んで勢いよく振り回して戦車の後部に投げ込んだ。
起動して時間が経っているのですぐにでも爆発するはずだ、水嶋は梱包爆薬の行く末を確認する間もなく、すぐさま用水路へ飛び込んで目と耳を強く塞いだ。
一瞬間を置き、激しい爆発が起きた。水嶋は猛烈な爆風と砂嵐に巻き込まれた。
激しい轟音と共に、舞い上がった土と砂が前進に降り注ぐのを感じ、それが収まるまで水嶋は用水路の底で縮こまっていた。
砂の雨はすぐに収まったが、頭の奥で鐘を鳴らされているような耳鳴りが続き、爆風で舞い上がった土に埋もれてしばらくぼんやりとしていた。
山﨑と永村のことを思い出して水嶋ははっと我に返って起き上がって振り返えった。戦車は何事もなかったかのように進み続けており、水嶋は失敗したのかとがっかりした。
しかし相当のダメージを受けていたのであろうか、爆発で上がった土煙を抜けて少し進んだところで、車体左の履帯がガタガタと不気味な揺れを起こしはじめ、エンジン部から黒煙が上がり、左履帯がついに激しい金属音と共に千切れた。そのままガリガリと大きく耳障りな騒音を立てながら制御を失ったように農道を逸れ始めた。
やがて完全に農道から滑り落ち、戦車は乾いた水田の泥の中に頭から突っ込んだ。
水田に突き刺さった瞬間、砲身から断末魔の悲鳴のように放たれた砲弾が地面を激しく掘り返した。エンジン部から立ち上る黒煙が徐々に炎へと変わり、戦車を覆い隠していった。
――山﨑は目の前で起きた光景がうまく理解できず、しばし唖然としていた。
しかし、黒煙の向こうから走ってくる人影を見て、山﨑は今すべきことを思い出した。
「援護射撃!水嶋に注意しろ!」 敵に水嶋への狙いを絞らせないように、敵集団めがけて全員で射撃を行った。
戦車を破壊した水嶋は、泥だらけになりながらも何事もなかったかのように用水路を走って戻ってきた。少しの躊躇いもなく用水路を飛び出し、農道を横断しようとしたとき、農道は道路に無数に転がっていた空薬莢の1つに足を滑らせて転んでしまった。
岡田は身を乗り出してなんとか水嶋の腕をつかむと軽々と用水路に引きずり込んだ。
「馬鹿野郎!死にてぇのか!」 岡田はそのまま水嶋の耳元で怒鳴り散らしたが、山﨑が間に割って入った。 「水嶋、怪我はないか!?」
「えっと……はい、大丈夫です。」 水嶋は上がった息を落ち着けながら答えた。それを聞いて山﨑はとても安心し 「よくやってくれた、楽にしててくれ。」 と山﨑は水嶋の肩を叩いてと労った。
負傷した生徒を担架に乗せて後送準備を終えた永村は慌てた様子で水嶋に駆け寄った。
「水嶋さん、ちょっと失礼するね!」 看護科で医療を学んだ永村には、人は興奮状態にあると自分の怪我に気づかないことがあることを知っていた。あんな爆発のすぐそばに居て無傷なはずはない。弾帯に下げていた水筒を取り出し、ハンカチを濡らすと、水嶋の顔を拭いながら怪我がないかを確認した。しかし、本人の宣言通り本当に怪我ひとつ無いことに永村は心底驚いた。
水嶋の大金星に学園生徒は誰もが歓喜して勢い付いた。山﨑は全員に射撃を再開するように指示を飛ばし、岡田はそれに答えるように雄叫びを上げながらBARの射撃を再開した。
永村は山﨑の指示で吉原の遺体を収容し、負傷者の介抱をしていた。その最中、永村は休んでいた水嶋にちらと目をやった。水嶋だけ皆と違い、空を見上げてどこか残念そうな空しい顔をしていたことが、一瞬の出来事であったのに永村の印象に強く残った。
――しばらくして、菊池が大粒の汗を流して息を切らしながらあらん限りの小銃擲弾をかき集めて山﨑の元へ戻ってきた。
「てきだっ…小銃擲弾を、お持ちしました!」 という菊池に、山﨑は申し訳なさそうな表情で戦車を指さした。 「必要なくなった、手間をかけたな。」
菊池は 「一体誰が?」 と聞こうとしたが、あまり息が上がりすぎて声にならず、言い直すこともできずそのままその場で倒れ込んでしまった。
ちょうどそこに本部から増援に来た選抜科3回生の井東が弾薬の入った肩掛け鞄を抱えて山﨑の元に現れた。
「本部から伝令です、直ちに刈谷の離島警備隊基地まで後退せよとのことです。車列は放棄しても構わない、判断は山﨑隊長に任せると。」 と井東は付近に居た生徒に弾薬を託しながら山﨑に伝えた。
刈谷は来た道を少し戻ればたどり着ける町だ。車列が幹線道路に復帰できれば数分でたどり着けるだろう。
指令を聞いた山﨑は施設課の生徒に質問した。
「仮設橋の設置はどのくらいの時間が必要になる?四輪車1台とトラック2台が通過できれば十分だ。その後崩れても構わない。」
「それなら資材は揃っているので10分あれば。」
山﨑はしばし戦況を目で確認し、車列の移動を決心した。
「よし、作戦を説明する。」 山﨑は地面に素早く農道と橋と納屋、敵が存在する大まかな地点を描いた。
「増援を二班に分けて、第一班は岡田の指揮下で橋の左右から施設課を援護、第二班は納屋で冨士原に合流しろ。煙幕を展開するから敷設科はそのタイミングで仮設橋の設置を始めてくれ。仮設橋が完成したらすぐ移動できるよう運転手を車列に戻しておいてくれ。敷設科は仮設橋が完成したら集結地点に戻ってくれて構わない。他の普通科は負傷者と共に先に集結地点へ後退しろ。」
解散させて送り出そうとしたところで、ふと思い出したことを井東に告げた。
「――そうだ、井東、第二班にこれを持っていってくれ。」 と山﨑は菊池が必死に持ってきた小銃擲弾の詰まった肩掛け鞄を指さした。
井東は第二班を率いて納屋から射撃を行っている冨士原の元へたどり着いた。井東が最初に目にしたのは、納屋の陰で顔が血だらけになったまま座り込んでいる生徒だった。緑色のリボンを見るに選抜科3回生ではあるらしかったが、井東は最初それが誰だかわからなかった。
井東に気づいた冨士原は納屋から飛び出し、納屋の陰で後続と合流した。
「山﨑隊長からの伝令です――!」 携えた弾薬を分配しながら、山﨑に伝えた内容と山﨑からの指令を冨士原にも共有した。
井東が伝えた山﨑からの指示は口頭だったが、冨士原にはその作戦図が頭の中に描かれるように鮮明に伝わった。山﨑の作戦立案は基本に忠実だ。それゆえに情報共有が楽に行える上に手堅い。
その作戦であれば納屋の周囲を速めに掃討して射点を確保しなければならないだろう、冨士原は、すぐさま反応した。
「よし、井東は木村を後送してくれ。野々下、後藤、篠原、渡部!あたしに付いてこい!他は安武に合流しろ!」 冨士原は短機関銃を持っていた生徒たちで素早く突撃隊を編制し、駆けて行った。
冨士原から預けられた生徒が、3年間一緒に過ごしてきた木村だと井東はようやく気付いた。井東は冨士原を見送り、よろよろと起き上がろうとする木村に肩を貸すと、集結地点まで来た道をゆっくりと戻っていった。
敵は山﨑側からの射撃が止んだ隙に、どうにか納屋を回り込もうとしていたようだった。冨士原は安武に制圧射撃を命じると急遽編成した突撃隊を従えて、そのさらに側面へ素早く移動した。
納屋へ側面から射撃を行っている敵のさらに側面の生垣に張り付いた冨士原は後藤を呼び出した。
「後藤、来い!」
後藤 佐智子は選抜科としてはかなり小柄だった。しかし肩には自信があり、50m以内なら個人用のタコつぼ壕にでも手榴弾を投げ込んで見せると豪語していた。野球がこよなく愛しており、基地内に野球グローブと野球ボールを持ち込み自由時間があれば投球練習に没頭するほどである。時折キャッチボールに付き合う冨士原もその才能を高く評価していた。この距離なら後藤が良い仕事をするはずだ。
「やれ!」 と冨士原から投げ渡された手榴弾のピンを後藤は素早く引き抜くと少し下がって助走をつけ、腕をしならせてオーバースローで手榴弾を投げ飛ばした。
手榴弾は綺麗な放物線を描き、生垣の向こうへと沈んだ。
どうやら狙いは正確だったらしい、落ちてきた手榴弾に気づいた敵の悲鳴や混乱しているらしい声が聞こえて、手榴弾の炸裂音がそれを掻き消した。
冨士原はさらにもう一発の手榴弾を渡して後藤に促した。二発目の爆発の後、冨士原は機関銃だけを生垣から突き出し乱射した。
手ごたえがないことを確認した冨士原は安武に射撃を中断させて、篠原と渡部を前進させた。
銃を構えて慎重に近づいた二人だったが、生垣の裏にはもう誰も居なかった。
再集結して納屋へ戻る途中、あまりに綺麗な投球を目の当たりにした冨士原は後藤に聞こえないように小さな声で 「いやあ、あの華麗で純白な投球フォームは男の子にゃ見せられんね。」 とジョークを飛ばした。 「まったくだ。」 と三人にはそれなりにウケていた。
冨士原は再び納屋の二階に戻り、大きく開いた穴から外を覗き込んで付近の安全が確保できたことと敵の主力の位置を確認すると、擲弾手の上田と牧野を呼び出して小銃擲弾の射撃準備を始めさせた。
小銃擲弾の射撃なら選抜科の生徒たちは何度も訓練してきた。二人は慣れた手付きでライフルの弾薬を抜き、銃口に発射機を取り付け、専用弾を装填したら、弾頭を銃口の発射機に装着し弾頭の安全ピンを抜く。
「距離150!撃ちまくれ!」 冨士原の号令で小銃擲弾が敵主力集団の頭上に降り注いだ。
手榴弾をライフルの空砲によって投射する小銃擲弾は100m~200m範囲内の敵集団に手榴弾を送り込むのに最適な手段だった。特に最大射程付近では手榴弾が飛翔中あるいは地面で跳ねる間に空中で炸裂するため、破片が周囲に効率よく散らばり高い火力を発揮した。
立て続けに投射され続ける小銃擲弾の砲撃で舞い上がる土煙の狭間からちらっと逃げ惑うの敵の姿が見えた。
小銃擲弾の集中砲撃が決め手となったのだろうか、敵は撤退を決断したらしく煙幕を展開した。それを見た山﨑は射撃の中断命令を全員に出し、それを納屋から見ていた冨士原もそれに続いた。
敵の煙幕が晴れる頃には辺りは静まり返っていた。
どうやら敵はすでに居ないようであったが、山﨑は念のためにと敷設科を隠蔽する煙幕を展開したが、ただ煙で作業がやりづらくなるだけだったかもしれないと山﨑は後で苦い顔と共に振り返った。
出来上がった仮設橋は、橋とは名ばかりで、50cmほどの幅を持った強固な網のような板を左右タイヤ分の二枚渡して両端を杭で固定しただけのものであり、トラックを通過させるのに少し慎重を要した。撤収作業はすぐに終わり、後には燃え尽きたトラックといまだ燃え続ける戦車のみが鎮座していた。
山﨑は集結地点で退却を始める車列を見送り、最後尾を守る四輪車が問題なしの手信号を上げながら近づいてきたのを確認し自身も帰りのトラックに乗り込んだ。その時、山﨑は不思議な高揚感を満たされ、身体がふわふわするような感覚を感じた。
山﨑はトラックの荷台から屋根を叩いて出発の合図を送り、動き始めると全身の力が一気に抜け落ちたように疲労を感じた。崩れ落ちるように荷台に座り込む山﨑を見て、水嶋は心配そうに 「大丈夫ですか」 と尋ねたが、山﨑はただ 「疲れただけだ、大丈夫」 と答えた。
周りに目をやると、一緒に乗り込んでいた冨士原と岡田、そして”ともか×ともか”は遊園地のアトラクションを楽しんだ後の子供のように嬉しそうにはしゃいでいた。
呑気なものだと山﨑は思ったが、同時に、なんだか救われた気がした。