水嶋と永村の出会い

 永村は緊張した面持ちで設営されたばかりの慌ただしい前哨基地内を移動していた。

 永村(なかむら) 未歩(みほ)は看護科3回生で優秀な看護師の卵だった。未歩が幼い頃に体を悪くした祖母と少しでも長く寄り添いたいと医療の道を志し、その夢を叶える近道を求めて看護科に志願した。今では看護兵として優秀な成績を収める学園屈指の優等生になった。

 しかし、そんな永村も今日ばかりはとても緊張していた。新たな配属先が決まったのだが、それ以上に、大切な話を新しい隊長に切り出さなければならなかったからだ。

「失礼します!」
 永村は幹部詰所になっているテントの入り口であらんばかりの力で声を張り上げた。
「小銃隊付き看護兵に配属になりました看護科3回生、永村 未歩、着任のご報告に参りました!」
「入れ!」
 中から聞こえる力強い声を合図に、テントの中へ足を踏み入れた。山﨑の座るデスクの前まである短くも長い区間、一歩一歩行進姿勢を確認しながら進み出た。

 山﨑(やまざき) 美香(みか)は選抜科3回生、学園の半数近くが所属する小銃隊を管轄する隊長である。先の大戦で祖国を守り抜いた山﨑元帥の孫娘にあたり、彼女の父もまた次期幕僚長に収まるであろうと噂されるエリートだ。まさしく軍人一家のサラブレッドと言っても過言ではなく、将来を期待される逸材だった。

 そんな重要人物を前にして永村は緊張で強張った体をなんとかデスクまで移動させて書類を提出することに成功した。

「よろしくお願いします!」
「楽にしてくれ。」
 山﨑は緊張している永村を怖がらせないよう柔らかい表情でそう言いながら書類を受け取った。
「小銃隊へようこそ。学長から話を聞いているよ、看護科でも極めて優秀だと。」
「恐縮です!」
「小銃隊の生徒たちを任せる。他の幹部候補生にはすでに話を通してあるから何か必要なものがあれば言ってくれ。」と言って書類の控えを永村に返却した。

「ひとつ、伺いたいことが……」
 控えを受け取った永村は不安そうな表情を浮かべ、うつ向きがちに本題を切り出し始めた。
「なんだい?」
 少し言いづらそうな永村を見て、山﨑は書類を片付けながら話を続けさせた。
「やはり私のような看護兵も、銃を持たなければならないでしょうか……」
 山﨑は手を止めた。
「入学してからずっと悩んでいました……」決心した永村は続ける。

「私は看護兵として訓練も行ってきましたが、同時に私は『看護の誓い』を立てました。私には……人を撃つことはできません……」

「なるほど……」と永村の告白を聞いた山﨑は少しの間考えこんだ。看護の誓いは看護に携わる者すべてが初めに宣誓する重要な誓詞だ。患者に害をなさず保護し、その健康を願い全力を尽くす。山﨑もそのことは知っていた。
「決して戦闘が怖いわけではありません、山﨑隊長が向かわれる戦場であればどこまでも御供する覚悟で居ます!ですが、――」考え込んだ山﨑を見て永村は急いで付け加えようとしたが、山﨑は静かに制止した。
「医療要員の戦闘参加は原則禁止という方針を私は固めている。だからあなたに射撃を命令することはない。」
 一呼吸おいて、山﨑は真剣な表情で続ける。
「しかし、戦場とは混沌だ。戦闘に参加しない医療要員の保護は国際法に定められているが、国際法は国内法とは違う。罰則もなければ立証も難しい。私たちも可能な限り警護するつもりだが、確約はできない。いざという時は自力で何とかしなければならない。」

 山﨑は覚悟のほどを確かめるように、永村の目を見つめて尋ねた。
「その時、自衛のための戦闘を行う権利は保証されているが、その権利を放棄したい、と言うことで良いか。」
「はい――」永村は山﨑の目を見つめ返して答えた。「――はい、その通りです。」
「――そうか、それならかまわない。本来の職務に精励してくれ。他の幹部生徒達にも話はつけておこう、よく打ち明けてくれたね。」
 山﨑はどこか安心したような表情で永村の決断を受け入れた。選抜科と言えば血気盛んで好戦的な集団だ。その長ともなれば、と思っていた永村は少し驚きながらも安心した。
「ありがとうございます。」

「心配することはない。私たちが最前線に送られることはないさ。」と言って山﨑は少し残念そうな複雑な顔をした。「すぐ増援が来る。そうすれば私たちは何をする間もなく戦線後方の安全地帯で任務に従事することになるだろう。」
 自分たちは最前線で戦う部隊ではなく後方支援とその警備が専門だ。山﨑は国のために戦場で武勲を上げることを望んでいるが、それが意味することは壊滅的な状況だ。永村もそれを理解していたので返答に詰まった。

 なんとも言い難い雰囲気を換えようとしたのか山﨑が切り出す。
「そうだ、代わりに、というわけではないが私の相談も聞いてもらえるかな。」
「なんでしょう?」
「本部班に水嶋という子が居るんだが、その子を気にかけてやってくれないか。」
「何か気になることでもおありですか?」
「内気な子で選抜科での生活にあまり馴染めず孤立気味でね、結構無理をしているんじゃないかと思って少し心配になったんだ。私の思い違いなら良いんだが……」
「なるほど……」

「特別扱いする必要はないが、時折様子をみてやってくれないか。」
「お任せください、生徒の健康管理も看護兵の大切な仕事です!」
 永村の元気な返事を聞いて、山﨑は深く頷いた。


 水嶋は前哨基地の隅で余ったノートの隅にスケッチを描いていた。

 水嶋(みずしま) 早織(さおり)は選抜科の3回生だが華奢な身体つきと内気な性格で、緑色のリボンをしていなければ普通科かあるいは看護科の生徒に見間違うような印象だ。貧しい家の出身で、選抜科には学費目当てで来ていると噂されていた。そんな彼女の日課は一人で静かにスケッチを描くことだった。

「こんにちは!」
 元気な挨拶に水嶋は驚いたように顔を上げた。

「小銃隊付き看護兵に配属になりました永村 未歩です、よろしくお願いします。紅茶はいかがですか?」
「あ、ありがとうございます。水嶋です、よろしくお願いします。」
 初めは警戒したような水嶋だったが、名前を聞いて何かを思い出したようだった。水嶋が差し出された暖かい紅茶を受け取ると、永村は水嶋のそばに座った。

「いつも絵を描いてるんだね。」
「えぇ、まぁ……」
「見せてほしいなぁ……なんて。」
「えっ、あ……はい、どうぞ。」
 ダメ元での頼みだったが、水嶋は不思議と快諾し、永村は少し驚きながらノートを受け取った。ページをめくってさらに驚いた。基地内の生徒を描いたスケッチは今にも動きそうな写実性で、有り合わせの鉛筆だけで描いたとは到底思えなかった。
「すごい、すごいよ水嶋さん!」
「えっと……どうもありがとうございます……」
 水嶋は少し恥ずかしそうに笑って答えた。

 永村がページを進めるたびに興奮に声を上げ、そのたびに水嶋は恥ずかしそうに顔を伏せた。

 水嶋は近づいてくる人物に気づき、すぐに立ち上がって気を付けの姿勢を取った。絵に見惚れていた永村は顔を上げると、水嶋の反応に少し驚いたような顔をした山﨑が立っていた。永村は慌てて水嶋に続こうとしたが、山﨑が先に制した。
「いや構わない、二人とも楽にしてくれ。通りがかっただけだ。」
 しかし興奮覚めやらぬ永村はそのまま飛び上がり、水嶋のノートを抱えてパタパタと駆け寄って水嶋の絵を見せつけた。
「山﨑隊長、見てください水嶋さんの絵、ものすごい上手です!」
「これは……すごいな……」
 水嶋のスケッチを見た山﨑は心底驚いた。水嶋の趣味を知っていたが、邪魔をしては悪いかを気を回し水嶋の絵を見たことがなかった。初めて見る水嶋の絵のすばらしさに見入ってしまい、水嶋の少し困った顔に気づくのが遅れてしまった。
「……っと、永村、水嶋を困らせるんじゃあない。」
 山﨑は水嶋にノートを返しながら永村の頭を軽く小突きながらたしなめた。

「あっ……ごめんなさい水嶋さん。あまりにも上手で興奮しちゃって……」
「いえ、構いません。」
「今からでも普通科に転科して美術部に籍を置くか?これほどなら技能推薦も可能だと思うが……」
 ノートを手渡した山﨑は真剣だった。
「ご提案はありがたいのですが、その……」
「そうか……」
 目を伏せて言い辛そうにしていた水嶋の気持ちを察して、山﨑は少し残念そうに話を切り上げた。

「さて、邪魔をしたな。」
 そう言ってその場を後にする山﨑に、水嶋は一礼し見えなくなるまでその後姿を見つめていた。

「水嶋さん――」
「……?」
 山﨑を見送ったのを確認した永村は水嶋の顔を覗き込み、真面目な表情で尋ねた。
「――山﨑さんが好き?」
「えっ、あっ、いえ、そういうわけでは……」
 唐突に投げかけられた突拍子もない質問に水嶋はひどく顔を赤らめて動揺した。
「先ほどの永村さんを見ていて、昔のことを思い出したんです。前も山﨑さんにあんな風に助けて頂いて……」
「えっ、何その話、詳しく聞きたい!」

 席に戻った水嶋は差し入れの紅茶を手の中で回しながらその時の話を始めた――


 ――入学したすぐのことだった。

 「逞しく自立した女性」という教育理念に強く惹かれて高い志を持って選抜科に志願した岡田(おかだ) 志保(しほ)はその中にひ弱そうな水嶋が紛れ込んでいることに常々不満を漏らしていた。ある日の授業終了後、水嶋の持ち物の中にスケッチブックと色鉛筆を見つけると我慢の限界とばかりに水嶋からスケッチブックを奪い取ると、大きな体で水嶋の前に立ちはだかり食って掛かった。

「てめぇみたいな女々しいのが居るからあたしら女が舐められんだ。」
「えっと……あの……」
「だいたい、なんでてめぇみたいなのが選抜科にいんだよ。」
 水嶋は返す言葉が見つからず、縮こまっていた。

「やめなさい!」
 山﨑が岡田の背後から素早くスケッチブックを取り戻すと水嶋に返しながら二人の間に割って入った。
「んだよ、優等生気取りの山﨑サマかよ。」
「『逞しく自立する』とは雄々しくあるだけではない、どんな生き方であってもそれを自分で選び貫くことだ。そうありたいと願い行動するならその生き方もまた自立と呼ぶにふさわしい。違うか。」
「んなっ……!」山﨑の正論に岡田は返す言葉を失った。

「その決断を護るのが、それが私たち選抜科だろう。」

 完全にとどめを刺された岡田は言い返す言葉が見つからず地団太を踏んだ。そんな岡田を尻目に水嶋は山﨑に促されて教室を後にした――


「――その時、山﨑さんに助けて頂いて、受け入れてくださったんです。」
 永村は水嶋の話に聞き入っていた。山﨑の話をする水嶋はどこか誇らしげで、嬉しそうだった。

「山﨑さんのお考えはとても素敵だと思います。私も選抜科生徒として山﨑さんのお役に立ちたい、そう願っているのですが……」
 水嶋は空になった紙コップを見ながらそうつぶやいた。

 夕方を知らせるチャイムが遠くで聞こえた。

 水嶋は目を閉じてチャイムに聞き入っていた。
「……すみません。つまらない話を長々と聞かせてしまいました。」
 チャイムの余韻を味わった後、水嶋ははにかんだような笑顔でそう言うと筆記用具を片付けはじめた。
「それでは私は失礼しますね。」
「うん、またね。」

 水嶋を見送った永村は、肝心な部分を聞きそびれてしまった気がした。でもまた明日、ゆっくり話ができるだろう、その時水嶋のことをもっと理解できるだろうと信じて永村もその場を後にした。