摩擦

敵が上陸して数回週を跨いだ頃、学園用の基地に設営された会議用テントへ、山﨑が姿を見せた。

「おはよう、全員揃っているな?――」 山﨑がそう言って作戦室を見渡し、横に立っていた水嶋に目で合図を送った。水嶋は頷きながら部屋の明かりを消し、プロジェクターの電源を入れた。

「――今日のブリーフィングを開始する。」

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山﨑が説明する島の戦局は、意外にも安定していた。

島の北部海岸線に上陸した敵戦力は水陸両用戦車数台を主軸にした強襲揚陸部隊であることが確認された。島の北部海域は敵の潜水艦が活発に活動しているため制海権を奪われており、敵の増援を水上で止めることは難しい状況だ。しかしその周囲の主要な沿岸施設は離島警備隊によって占拠あるいは破壊されており主力部隊の上陸は妨害には成功していた。それゆえに敵は突破力を欠いており、混乱から脱した離島警備隊がなんとか築き上げた防衛線を前にして戦線は膠着状態となっていた。現在は防衛線を挟んで小競り合いが続いており、時折砲撃音が遠く鳴り響いていた。

前衛を担当する離島警備隊の間では、敵が後詰と合流する前に叩くべきとする積極論と、後退して友軍の来援を待つべきという慎重論が拮抗しており、最高司令官不在という状況も相まって意見がまとまらなかった。

これらの結果として膠着状態、ともとれるような状態だった。

それでも現状の前線を維持するためには物資が必要になるのは必然であった。

「今日は第3備蓄庫から警備隊野戦基地への物資搬送任務が来ている――。」 月読島は離島である都合上、それなり以上の装備備蓄が島の各所に分散する形で保管されている。それらを一度、離島警備隊の前哨基地に集積したのち、各戦線に分配していた。今の学園の仕事はそれらを倉庫から前哨基地へ運びだす比較的安全な任務だった。

敵が上陸して以来、もうすでに何度も行った任務として、慣れた手順で道順や積み荷の確認をし、役割分担を決めて30分程度の会議が終わった。

「――以上だ。何か質問はあるか。」 山﨑は一同の顔を見回して確認したあとに締めくくった。 「では今日のブリーフィングは終了だ。よろしく頼む。」

集められた選抜科3回生たちがぞろぞろとテントを後にするのを見送った冨士原は、そっとテントの中へ戻り片隅に積まれた物資箱に話しかけた。

「――で、今日もつまらん任務なわけなんだが、あんたらそんなに参加したいのかね。」 という言葉に物資箱がガタンと揺れた。やれやれ、と冨士原がその箱を開けると、中から偽造文書を握った"ともか×ともか"がなんでバレたと言わんばかりの驚きの表情を見せた。

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「ここでの訓練よりは楽しいに決まってますよ。」 と(はやし) 智花(ともか)が答え、中川(なかがわ) 友佳(ともか)が、そうだそうだ、とつづけた。

”ともか×ともか”の愛称で知られる普通科2回生のこの二人は、学園内では名が知れていた。一般の生徒の間では食堂・休憩室で面白い話をするコンビとして、幹部生・教員の間ではトラブルを巻き起こす悩みの種として。冨士原にとっては可愛い後輩だった。

ここ数日、大人しくしていたかと思ったが、兵站車列の任務に参加しようと命令書を偽造して紛れ込ませるタイミングを伺っていたようだった。

「だいたい、冨士原先輩が教えてくれる訓練の内容って私たち1回生の時にもうやった内容ですよ。」 と智花は食い下がった。

「そういう基本こそ肝心なんだよ。」 と箱から二人を追い出して後片付けしながら冨士原が答えた。 「三日三晩飲まず食わずで走り回って、白目向きながらでも基本動作をできるようになって、ようやく半人前なんだよ。あんたらにできるか?」 とおどかすような冨士原の言葉に、二人は少しぞっとした。

「さあ、わかったらさっさと訓練の準備に戻れ。」 と二人をなんとか追い払い、冨士原はようやく会議用テントを後にした。

テントを出て外の空気を味わった冨士原は基地を軽く見回した。たしかに二人が言うように野戦基地の中は平穏そのもので学内の雰囲気がそのまま移設されたような状態だった。

当初、砲撃音がはるか遠くから聞こえるたびに多くの生徒が塹壕に飛び込み震えあがっていたようだった。しかし慣れとは恐ろしいもので、今となってはよほど近いものでなければ、誰も気に留めないようになっていた。野戦基地での生活は訓練として何度も経験しており手慣れたもので、教官陣が居ない今となっては、むしろ訓練よりも自由な気楽さを感じる生徒すら居るほどだった。

その他で今までの野外教練と違いがあるとすれば、基地の外へ出ていく生徒に手渡される弾薬が見慣れた窪みのある訓練用ではなく、なめらかな表面を持った実弾になり、その管理が少し厳重になったことぐらいだろうか。

その日の昼過ぎ、実弾を携えトラックに乗り込んでいく先輩たちを”ともか×ともか”は口惜しそうに見送った。


そんなある日の静かな夜、消灯時間を過ぎた頃に基地内を移動していた岡田が一つだけぼんやりと明かりの灯ったテントを見つけた。明かりの消し忘れだろうか、岡田がテントに近づくと、中からかすかに物音が聞こえ、人が起きているらしかった。

「おい、消灯時間だ、明かりを消せよ。」 と岡田が外から声をかけると、中から 「はい、もう少ししたら消します。」 と答えが返ってきた。

岡田はその曖昧な返事に少しムッとした顔をしたが、テントの配置を見るに普通科が寝泊まりするテントらしかった。つい先日、普通科の扱いには気をつけろと山﨑から忠告を受けたばかりの岡田は、基地が前線から遠く、明かりもさほど漏れてないことを考慮し、岡田は声を信じてその場を後にした。

しばらくして、再びテントの前を通りがかった時、明かりがいまだについていることに気づき、我慢ならぬとテントの入口をくぐった。

「おい、いつまで遊んでんだ。消灯時間はとっくに過ぎてんだぞ。」

「遊んでません、勉強してたんです。」 とベッドの上で教科書を広げていた平野は苛立った様子で答えた。

平野(ひらの) 飛鳥(あすか)は普通科の3回生で、裕福な家の出だったが学業はあまりぱっとせず、優秀な姉と弟に挟まれて家では肩身の狭い思いをしていた。いざ進学となった時に両親から資金的援助を断られ、やむなく学費の心配がない月読に志願せざるを得なかった。月読では身を粉にする思いで学業に取り組んでいた。

有事が発動されて休校状態になってからというもの、基地設営で慌ただしい日々が続き勉強に遅れが出ていたことに焦りと苛立ちを覚えており、それが言葉と態度に出てしまった。

「――んだよその態度は。」 反抗的な態度が癪にさわった岡田はテントに押し入り、威圧するように平野の前に二回り以上もでかい体で立ちはだかった。勉強を邪魔された平野も我慢の限界とばかり食って掛かった。 「私は言われた時だけ銃を振り回してれば将来安泰などこぞの野蛮人と違って暇じゃないんです。」

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「んだとてめぇ、ぶっ飛ばされてえのか!」 岡田はついに我慢できなくなり、平野の胸倉をつかんで声を荒げた。 「わぁ、怖い。まずは内部の不満分子を処刑して昇進かしら?ご立派ね?」

周りの生徒がざわめく中、岡田が大きく拳を振り上げてあわや乱闘になるかというところで、騒ぎを聞きつけた山﨑がテントに現れた。

「そこまで!双方、幹部詰所まで出頭しろ。他は消灯し就寝するように。」 そう言って事態を収拾させると、山﨑は二人を連れて幹部詰所に移動した。

幹部詰所に着いた二人は興奮冷めやらぬ状態で、特に平野は選抜科の本拠地に足を踏み込んだことで殺気立っているようだった。

「何があったのか説明しなさい。」 と山﨑が先に説明を求めたのは平野のほうであったことに二人は少し驚いた。説明を始めた平野に、岡田は幾度も割り込もうとし、そのたびに山﨑が制止して、山﨑は平野の言い分に耳を傾けた。

その後、岡田からも話を聞き、いくつか質問をしながらメモを取った山﨑は、互いの主張を記したメモを眺めてしばし考えこんだ。

「……わかった、幹部詰所用の完全遮光テントは予備があったな。それを設営して自習室として開放する。テントの管理は生徒会に一任するが、私語厳禁で起床時間は変わらないため自己責任で利用するように。乱闘行為に及んだ罰として二人には自由時間を返上して設営を手伝うこととする。それでよろしいか。」

「……了解した。」 「…了解しました。」 岡田は少し不満そうだったが了承し、平野もそれに続いた。

「とりあえず、今日はすぐ就寝するように、以上だ。」

冨士原は退室する岡田にプークスクスと嘲笑うリアクションを送り、岡田は横目で睨みつけて答えながら幹部詰所を後にした。

月読では生徒会は普通科によって構成されている。学園という小さなコミュニティにおいて文民統制を学ぶべきという思想から、血気盛んな選抜科ではなく良識を持つであろう普通科に学園の生徒代表組織を委ねる形になっていた。

基地の事務処理担当として普通科2回生の河野(こうの) 彩希(さき)が生徒会より派遣されていた。多忙な3回生より彼女に任せるのが適任だろう。山﨑は二人を見送るとすぐに河野に宛てた命令書の準備に取り掛かった。

二人が退室したのを確認した冨士原は山﨑のデスクに腰かけながら問いかけた。

「良いのか?ボス。」

「それなり以上の高級品だからな、何かあれば生徒会にはどやされるかもしれないな――。」 と、軽く冗談を言った山﨑は咳払いをして紙コップに入れたコーヒーを一口飲み、リボンを緩めながら続ける。 「――仕方がないさ、彼女の言い分ももっともだ。実際、私などは戦場で指揮を執っていれば国に奉仕できるが、彼女らはそれだけじゃない。卒業後のことを考える必要がある、それも事実だ。それに、陸軍校ではあるが全員が軍人志望とも限らない。普通科の中には経済的な理由で志望した生徒も居るだろう。それでも普通科の協力なしに作戦行動はできないのだから、こちらから協力を願い出るしかない。そのためにはそれ以外で譲歩する必要もある――。」 山﨑は軽く伸びをし、椅子に深く腰掛けた。 「――結局、私に与えられた指揮権と学園の団結力とはその程度のものなんだ。」

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「警護にも即応班にも普通科を入れないのはそれが理由か?」 と、冨士原は予定表に目をやった。

一週間分の兵站部隊護衛任務に配置される予定が記されたホワイトボードには選抜科3回生の面々が割り振られていた。教官陣が壊滅してからは下級生の訓練も選抜科3回生が担っており、時折、山﨑自身も警護任務に参加するほど人手が足りていないような状態だった。学園首脳部からも負担が選抜科、特に幹部生徒に集中すぎではないかという意見が出ていた。

「それだけではないが、まぁ、そんなところだ。」

「あたしらは入学する際に宣誓書にサインしたし、今までは学費の一部を国に払わせてたわけだ。有事となった今じゃ逆に給料を貰う身だ、命令に従わせるだけの理由は持ち合わせてると思うがね。」 たしかに冨士原の言う通りだ。志願する際、陸軍校である以上有事には軍の所属として出動することに宣誓した。その見返りとして学費の一部を軍が負担していた。今では危険手当が付き、それなりの額になる。

「それはそうだが、軍隊における規律とは”盲目的に命令に従う”ものではなく”自らの意志によって目的のために率先して命令に従う”ものなんだ。そうでなければ戦闘時の混乱に対応できないし、悪くすれば全軍壊走の火種になりかねない。」

ふぅん、と鼻を鳴らした冨士原には、あの二人の顔が思い浮かんだ。 「――私の見立てじゃあ、使い様はあるんじゃないかと思うね。」

「なるほど……。」 と山﨑はすこし考えこんだ。冨士原はお世辞を言わない。それに普通科の訓練も担当しており下級生とも接する機会が自分より多い。彼女の意見は検討するだけの価値がありそうだ、山﨑はそう感じた。

命令書の準備が終わった山﨑は、紙コップに残ったコーヒーを飲み干しながら席を立った。 「普通科の件は少し考えさせてくれ。もうすぐ下級生の集中訓練も終わる、そうすればもう少し余裕を持ったローテーションで回せると思う。それまでの辛抱だ。」

「OK、ボス。」

その後の業務を冨士原に任せ、山﨑は就寝することにした。冨士原にはああいったが、集中訓練自体も無駄に終わるかもしれない。もうすぐ本土から増援が来てくれるはずなのだから。そうなれば私たちの仕事も今より楽になるだろう、もう少しの辛抱だ。山﨑はそう自分に言い聞かせながら眠りについた。


河野の仕事は流石ともいうべき速さだった。翌朝に命令書を渡したが、その昼過ぎには普通科敷設班による遮光テントの設営が早速始まっていた。山﨑の指示通り、非番であった岡田と平野の両名も参加しており敷設班の指示の下でテント設営に勤しんでいた。

山﨑はテント設営を軽く見届けた後、幹部詰所へ戻ろうとしていた道中で水嶋と永村を見かけた。永村は山﨑の頼み通り、最近よく顔を合わせては会話をしているらしく、その関係は良好らしい。選抜科に居る時にははめったに見られなかった水嶋の笑顔を目にして、山﨑には二人の交流が好ましいものに思えた。

二人はちょうど話し終わった後だったらしく、水嶋は手を小さく振って永村を見送った。

山﨑に気づき水嶋は直立不動の姿勢で挨拶をした。一応、教本によると有事の際は階級が上である生徒を見つけた時は直立の姿勢で挨拶をすることとなっていたが、選抜科の間では形骸化しており律儀に守っているのは水嶋ぐらいだった。

直立挨拶は不要だ、とは何度も伝えているのだが、水嶋がやめたがらないので、山﨑も付き合うことにしている。 「楽にしてくれ。」 というのも二人の間ではお決まりの流れだった。

「永村とは上手くやってるみたいだな。」 「はい。」 と水嶋はすこしはにかんだ笑顔で答えた。

その顔を見て山﨑はふと思いついたことを口にした。

「そうだ、水嶋に一つ仕事を頼もうかな――。」 水嶋の顔がぱっと変わり、真剣な顔つきになった。それに気づいた山﨑は 「――そんな深刻なものではないから楽にしてくれ。」 と微笑んで見せた。

「この前伝えた通り、永村は良心的兵役拒否を宣言した。前線に派遣されることは私たち共々ないとは思うが、手ぶらで敷地外を出歩くのは後方地帯であっても危険だ。一緒に基地の外に出るときだけでいい、彼女の護衛をしてやってほしい。できるか?」 「はい、了解です。」 水嶋は頷き、そして次に少し困った顔をした。

「――なぜ私が、かな?」 と言ったのは山﨑のほうだった。水嶋がこくりと頷いた。

「護衛をするなら少しでも作戦行動に理解のある選抜科の方が勝手が良い。と言っても選抜科の連中は血気盛んで科外の生徒と上手くいかないかもしれない。水嶋なら適任だと思ったんだ。」 水嶋はなるほど、と膝を打ったような顔をした。

「常にぴったりと張り付いて護衛する必要はないが、一緒に基地から外に出ている間だけでも気にしてあげてくれ。頼めるな?」 という山﨑の声に 「お任せください。」 と水嶋は明るく強く頷きながら答えた。